遺言を作成しなかったがために

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遺言さえ書いてくれていたら……

遺言さえ書いてくれていたら……

二人の出会いは戦前の上海。Eさんはそこで踊り子をしていて、ご主人が一目惚れ、「上海帰りのリル」(作詞:東条寿三郎/作曲:渡久地政信/唄:津村謙)のような世界がそこにはあったのかもしれません。

私はEさんの法定後見人として家庭裁判所から選任されました。Eさんはアルツハイマー型認知症が進行し、もうほとんど誰を見ても認識できない状態でした。Eさんに認知症の症状が出てからも、ご主人がずっとお世話をしてこられたのですが、体調を崩され、お亡くなりになってしまいました。そして市長の申立てにより、子供も身寄りもないEさんの後見人に私が選任されたのです。

Eさんは、私が後見人に就任した当時は療養型の病院に入院されていました。まず私が直面した問題は、入院費をはじめとした費用の問題です。今後もっと費用の安い特別養護老人ホームなどに移るとしても、そのお金をどこから捻出するのか……。Eさん名義の預貯金はほとんどありません。亡くなったご主人がお金のことはすべて管理しておられたようで、名義はすべてご主人のものでした。ご主人が残されたものは、若干の預貯金と、あとはご自宅の小さな土地と建物だけでした。

遺言さえ書いてくれていたら……

私はすぐにご主人の相続人を調べました。自筆証書遺言があるかどうか、ご自宅の隅々まで調べましたし、公証役場に照会してみたものの公正証書遺言も見つかりませんでした。もし、ご主人に兄弟がいれば法定相続の権利がありますので、その分Eさんの取得する額が少なくなってしまいます。

さらなる調査の結果、ご主人には北海道にお兄さんがいらっしゃること、またそのお兄さんはすでにお亡くなりで、甥御さんがお一人いらっしゃることがわかりました。私は、不動産の評価額や預貯金の残額からEさんの取得額を概算して溜息をついてしまいました……。せめてこの甥御さんが、遺産分割協議で取得分をEさんに譲ってくれないものかと考えました。

私はEさんが入院する病院に行くたびに、当時を知る多くの看護師さんから、ご主人が病んだ体をおしてEさんのお見舞いに欠かさず来ていたこと、いつもいつも看護師さんたちにEさんのことを「よろしく、よろしく」と言って回っていたこと、その姿が目に焼き付いて離れないことなどを聞かされました。

私はそんなご主人の気持ちも伝えるべく、甥御さんに対して事情説明と、できれば遺産分割協議によって財産をEさんが取得できるようにしてほしいという旨のお願いの手紙を出しました。

3週間後、私のもとに届いた手紙には次のように記されていました。

「大阪に叔父がいることは亡くなった父から聞いたことはあったが、本当だったと知って驚いている。私もこんなことは初めてのことでよくわからないので、市役所の法律相談で相談したところ、せっかくの権利だからもらっておいては、とのことだった。手続きには協力するから、私の分はお金に換えて送ってください」

今、私は決して豊かとは言えないEさんがご主人から受け継いだ資産とわずかの年金で、Eさんが入所している特別養護老人ホームの施設代をやりくりしています。ご病気になられた場合の治療費や入院費を残しておかなければなりませんので、簡単なことではありません。

遺言さえ書いてくれていたら……

Eさんのケースは、まだ病院や施設を利用されていたからいいようなものの、同じくご主人が亡くなられたケースで、ご自宅の相続登記をしようとした時に遺言がなかったため、その存在さえ知らなかった姪に相続分を要求され、「共有名義にしても今まで通り住まわせてあげるから、いくらかのお金を出せ」とか、「単独所有にしてあげるからこれまたお金を出せ」と言われて、仕方なく家を処分しなければならなくなったという話も聞いたことがあります。

お子様がいらっしゃらない方は、意外なところにいらっしゃる甥姪の方にご用心です。

(この事例は事実をもとに構成したフィクションです)

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