車イスでの生活を余儀なくされて

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今を生き抜く~Tさんの場合~

今を生き抜く~Tさんの場合~

猛暑だったその年の夏は、9月に入ると潔く主役の座を秋に明け渡し、朝晩はめっきり過ごしやすくなっていました。

(Tさんも過ごしやすくなってきたかな……)

Tさんに初めてお目にかかってから6年。私は車イス生活を余儀なくされたTさんの任意代理人として後見人を務めさせていただいておりました。

そんな秋の日の夕方のこと、病院から一本の電話がかかってきたのです。

「こちら、東住吉のM病院、緊急外来受付ですが、榊原さんはいらっしゃいますか?」

今を生き抜く~Tさんの場合~

それは、Tさんがご自宅で気分が悪くなられたのをヘルパーさんが発見し、救急車で搬送されたことを伝える電話でした。すでに意識が混濁していることを聞いて、私はすぐに事務所を飛び出しました。

鼓動を抑えながら車を急がせる私。脳裏をよぎるのは3日前にお会いした時のTさんの笑顔でした。……すでに地平線まで傾いた太陽が、車窓から見える景色を赤く染め上げていました。

病院に着いた私を迎えたのはヘルパー派遣会社の責任者であるWさんでした。廊下の長椅子に座っておられたWさんは立ち上がりました。

「ああ、榊原先生……」

「いやあ、お疲れ様です。」

反射的に私は頭を下げました。Wさんは平成12年に制度ができてすぐに介護福祉士になられたベテランの方です。何よりもクライアントの気持ちを大切にされる、その柔らかな優しさに私はいつも敬意を抱いていました。

「今、奥の集中治療室なんですけど、ドクターが身内の方をっておっしゃるんです。そういう方はわからないけど後見人さんがいますってお伝えしたら、すぐに呼んでくださいってことでしたので……」

今を生き抜く~Tさんの場合~

ちょうどその時ドアが開いて、ドクターが姿を現しました。

「Tさんの後見人の方とか?」

ドクターが私を見て言いました。

「あ、司法書士の榊原です。この度はお世話になります。」

私は、会釈して答えました。

「ええっと、法律のことはよくわからないんですが、Tさんは認知症だったんでしたっけ?」

と、ドクターが尋ねました。

「いえ、精神的にはしっかりなさっておりますが、なにぶんお足が悪く、お一人暮らしなもので、私が金銭管理をしております。任意代理人と言います。任意後見受任者でもありますが……、公正証書で身分を証明いたしましょうか?」

と、私は言いました。

「いえ、それには及びません。こちらへどうぞ」

と、ドクターは私を治療室に招き入れました。私は大きな洗面台でしっかり手を洗い、マスクを付け、さらに奥の部屋に通されました。蛍光灯が白く輝く部屋の中には5、6人の患者がそれぞれ鼻や下腹部にチューブを付けられてベッドの上に横たわっていました。人工呼吸器の等間隔の収縮音が部屋の白い壁に反射しています。

「Tさん! Tさん!」

何度呼びかけても返事をしていただけません。Tさんはただ目を閉じて、酸素マスクの中で軽く口を開けておられるだけでした。

「先生!」

私はすがりつくようにドクターを見ました。

今を生き抜く~Tさんの場合~

「すでにご覧のように意識はありませんし、血圧も低下し脈拍も弱くなってきておられます。それで、ご相談なんですが、お歳がお歳ですし、このままだと明日の朝は迎えられないと思われます……。人工呼吸器や昇圧剤の使用など、いわゆる延命治療の段階に入るのですが、いかがなさいますか?」

こういったことを判断する権限は本来、法定後見人であろうと任意後見人であろうとありません。ましてや任意代理人には与えられていません。息子や娘といった親族がいる場合は、医療過誤で訴えられる危険を考えてドクターは決まって親族の意思を確認しますが、お一人暮らしをされていたTさんのような場合は、私のような後見人にその判断を求めてきます。

お元気なうちに契約をする任意後見の場合は、前もってクライアント様の意思を確認しておいて文書化し、万が一の場合に備えておくことができますが、すでにクライアント様の認知症などが進行した状態で就任する法定後見人の場合には、本人の意思を確認するすべもなく途方にくれてしまうことはよくあることです。

Tさんの場合は「*1延命治療を拒否する旨の陳述書」をいただいておりましたので、私はそれをドクターに示しました。ドクターは私の提示したTさんの署名・捺印のある文書に目を通すと看護師さんに1部コピーするように命じ、

*1 延命治療を拒む旨の自筆の私文書ですが、それを公正証書にした「尊厳死宣言公正証書」の方がさらに医師に対する説得力が増します。

「わかりました」

と私に向かって軽く頭を下げました。

Tさんが財産の管理とお亡くなりになった後の事務などを依頼されたのは、足を骨折され車イスで生活しなければならなくなってからのことでした。はじめは、近県に住む甥にお金の管理やちょっとした役所の手続きなどを頼んでおられたのですが、その煩雑さからか、だんだん感情的に摩擦を起こすようになり、誰か代わりにしてくれる人はいないかとヘルパーさんに相談したところ、私が紹介されたのがきっかけでした。

私はTさんのご希望で、「財産管理契約(任意代理契約)」「任意後見契約」「死後事務委任契約」を結び、遺言の作成をお手伝いさせていただきました。それ以来、毎月1回は必ずTさんのご自宅を訪問し、お話し相手になるのと同時に、前月までの財産管理の状況をご報告していました。

Tさんはうっすらと白み始めた空に、名残の月が消えかかる頃に亡くなられました。とても自然な表情での穏やかな旅立ちでした。

車イスでの生活を余儀なくされて

看護師さんがエンゼルケアをしてくださっている間に、私はかねてからTさんと決めていた葬儀社に電話をしてTさんの死を伝えました。死後事務委任契約をした6年前に決め、その後定期的な見直しを経て、Tさんの亡くなった後のご葬儀などの事務はほとんどがきっちり決められていました。後はそれに則って粛々と事を運ぶだけです。

ほどなく寝台自動車が病院に到着し、医師、看護師に見送られてご遺体は病院を出て、葬儀社の安置所に向かいました。お通夜は翌日、葬儀はその翌日と決まりました。私はTさんのご希望どおり、連絡すべき人に即座に連絡しました。

お通夜、お葬式ともに、本当に親しかった方、近所の方、介護ヘルパーの方など、少人数ではありましたが、Tさんの死を悼む方々が来てくださいました。祭壇はTさんのご遺志どおりのピンクの花に美しく飾られたものとなりました。私は「喪主」としてTさんに代わり、来てくださった方々に礼を尽くしました。

骨あげ、初七日も私がさせていただき、生前に手配していたとおり比叡山のお寺への納骨には私が車で参りました。ピンと張り詰めたような清浄な空気の中に僧侶の読経が響き渡り、やがて真新しく刻まれた故人の戒名を記した墓石の下にTさんは納められました。私は合掌し、深々と頭を下げてから比叡山を後にしました。

私はTさんの遺言に則り、遺言執行人として入院費の残りや葬儀費、その他債務の支払い、役所の手続きなどすべてを終えた後で、遺言で決められた人に遺産を渡しました。法定相続人だった甥は除かれていましたが、ご本人の意思なのでいたし方ありません。

(Tさん、本当にありがとうございました)

今を生き抜く~Tさんの場合~

すべてを終えた日、私は改めてTさんに心の中で報告をいたしました。人生の大先輩としていただいた数々のお言葉を思い出しながら、精一杯生き抜くことの素晴らしさを身を持って教えていただいたことに心の底から感謝を捧げました。

Tさんはもともと積極的な性格の方で、足が悪くなられる以前はボランティアや色々な習い事をされていたそうですが、私と契約を結ばれてからは、安心されたのか一時中断されていた習い事をまた始められ、墨絵や折り紙のサークルなどに参加されていました。

もちろんお一人では危険ですので、ヘルパーさんに教室まで同行していただいておりました。さらに、ヘルパーさんと温泉旅行にも何度か行っていただきました。そういった旅行のお膳立ても私の大切な仕事でした。

「ほら、こうやって、その瞬間、瞬間を生かしていただいているのが素敵なのよ」

いつも朗らかにおっしゃっていたTさんの姿が、今も私を支えてくれます。

(この事例は事実をもとに構成したフィクションです)

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